綱引きの特徴

喜屋武の綱引きの特徴

喜屋武外部にアピールして客を呼んだりしない。服装も何も全く飾らない。人に見せる意識が全くなく、あくまでも自分たちが楽しむ。審判も役員もいない。無統制。それなのに、混乱がない。

 「東」の綱は細くて長い。「西」の綱は太くて、枝綱(ティーンナ)がついている。

 綱引きをする場所は「前道」。「めーみち」と呼ぶ。「東」が少しのぼり坂になっている。

勝つための“戦略”

 戦前の綱引きの夜、12〜14歳くらいの子供たちには“重要な任務”があった。「東」は「西」の家々に、「西」は「東」の家々に、「今夜は綱引きをしないから早く寝ていいよ」と言って回った。もちろん誰も信じなかったが……。

 夫婦で「東」と「西」が異なる場合、妻は夫に酒を飲ませて寝かせ、自分だけ綱引きに行った。

 「東」か「西」かは生まれた時から死ぬまで変わらない。同じ家族でも「東」と「西」の人がいることになる。「東」の孫たちにせがまれて、「西」のオバーが「東」側で一緒に引いたのだが、オバーは「西」に向かって綱を引いた。

ルール

 原則は特にない。ただ、初日は喜屋武住民だけで引く。2日目は誰にでも開放して引いてもらおうということで「シュニン綱」(衆人綱)と言われる。

 綱引きの囃子詞は「はーいや!」。「さぁやるそ」という決意の意味がこもっている。

そのほか

 綱を編むための藁は1500坪分必要。1955年ごろまでは喜屋武に田んぼがあったので自前で藁を調達できた。その後、玉城村や知念村、国頭村、金武町などに藁を求めてきた。

 綱を編むことを「綱打ちゃー」や「綱のーやー」と言う。3人1組で編むのだが、手に豆はできるし、太陽が容赦なく照りつけるしで、大変な重労働だ。





 以上の出典は『上筋から』(喜屋武ふるさと再生区民の会・発行)。

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