午後10時ごろになってようやく動き出した。喜屋武の高台にある公民館に置いてある綱を広場付近まで運ぶのだ。昔はもっと夜遅くに始まったそうだが、今日では子供を夜更かしさせないようにと早めに始めるようになった。そうはいっても午後10時過ぎである。
この日のために、喜屋武の住民が綱を粛々と編んできた。お年寄りから子供までが力を寄せ合う。まさしく喜屋武住民総出と言っていい。
喜屋武住民の手で編まれた巨大な綱が集落の中央にある綱引きの場に運ばれる。ここで特徴が1つある。綱引きは「東」(あがり)と「西」(いり)に分かれて行うのだが、「西」の住民は綱を広場の脇に置いてある。楽ちんなのだ。一方「東」の住民は松明を先頭にして綱を担いで下る。これは大変である。最初から疲れる。「東」はハンデを背負って戦うことを強いられている。
「西」の綱は喜屋武公民館からトラックで運び降ろしていたこともある。ここ数年は従来の方法に戻り、広場のそばに置いてある。最初から最後まで運ぶ必要はないということだ。
ところで「東」と「西」は門中ごとに昔から決まっている。夫婦の門中が異なる場合は、それぞれが自分の門中に戻って引く。まれに夫婦げんかになることさえある。綱引きが近づくと、子供たちの世界でも「お前は西だから」などと言ってケンカになったりする。集落の外に住んでいても、この時だけは帰ってきて綱を引く。「東」と「西」の所属意識と対抗心が脈々と受け継がれている。